明治屋醤油

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100年前からずっと変わらぬ製法で造っています。

明治屋醤油の歴史

始まりは、明治時代。大きな山を一歩一歩登り続ける醤油屋のあゆみ

明治屋醤油は、明治8年創業の醤油醸造所です。初代、野末萬吉から数えると現社長一宏は5代目になります。時代の流れ、戦争、不況、天災、いずれの時も諦めず皆と共に歩んできた100年余りです。  
 萬吉は、小松で醤油醸造を始めます。温暖な気候と赤石山脈系の豊かな地下水に恵まれたこの地域は、大豆・小麦の栽培さらに醤油造りに適していました。 大正13年発行「静岡県醤油同業組合 組合員醤油諸味査定石高表」にはこの地域にあった6軒の醤油屋の名前が記載されています。

赤石山脈系の伏流水と言われているこの地下水は地中で自然のろ過が行なわれるため水質が良好で現在も醤油の仕込み水に使用しています。
萬吉は、明治16年に「明治屋醤油店」として、醤油の販売を本格的に開始し、さらに明治22年「明治屋醤油合資会社」を設立します。その後、萬吉の子供で三代目の里平が家業を継ぎます。里平は戦中の物資のない大変な時代を乗り越えると、昭和23年「明治屋商事株式会社」「明治屋醤油株式会社」と改名し販路の拡大をしていきます。また、醤油以外の販売商品を模索。戦後の洋食ブームに乗り「ソース」に着目。そしてリンゴをたっぷり入れた濃く甘めの「高嶺とんかつソース」を開発し販売に尽力します。
事務所に保管してある新聞広告や写真からも当時の様子がわかります。そして、その後ウスターソース、中濃ソースの販売も始めます。こうして、明治屋醤油は「やままん醤油」「高嶺ソース」という2つの商品を確立していきました。

創業当時に付けられた「やままん醤油」の「やままん」は江戸時代の屋号文化が色濃く残されています。江戸時代に生まれた萬吉にとっては、ごく当たり前の名付けだったのでしょう。「やままん」は、倉庫業やみそ・醤油の醸造所によく付けられていた「八(やま)」という記号と創業者である萬吉の「萬(万)」を組み合わせて出来た屋号です。そして「八(やま)」は、他よりも高いことを表しており「商売によって家が発展しその頂点を極めたい」という願いが込められているようです。一方、「高嶺ソース」の名付け親は3代目 里平です。こちらも「高嶺」は山の頂上を意味しており、高みの頂点を目指す意味でこの名前を付けたと伝えられています。一見、「やままん」と「高嶺」には関連性がないようですが、萬吉と里平には共通する想いがあったようです。

そして4代目 政成は、醤油の原料から造ることを始めます。平成5年に「政成自然農園」を設立し、醤油の原料にするため茶大豆の無農薬無化学肥料栽培を始めます。その後、小麦の栽培も始め自社栽培の原料の「蔵出し」醤油を商品化しました。
平成9年には工場に隣接した直売店を開設し、これまでは卸売りが主流でしたが店舗販売にも注力するようになりました。

現在は、5代目 一宏が引き継いでいます。平成21年より味噌と浜納豆の製造・販売を始めました。野末家では、昔から味噌と浜納豆を家庭消費用に手造りしていました。今回その味その製造法を基本にして、現代の人若い人に好まれる味を追求し商品化を実現しました。また、もろみをその重さだけで搾る冬季限定商品「しずく」醤油の販売も始めました。
6代目は、「工場見学」や「もう少し知ろう!醤油・みそ体験」を企画し、集客に力を入れています。また、醤油に米麹の甘さを加えた「四季造りあま味」醤油をはじめいくつかの新商品を生み出し販売に至っています。

これからも、おいしい醤油・ソースを作るため一人一人がそれぞれの分野で益々楽しく努力を重ねて行きたいと思っています。

●高嶺ソースをアピールする広告の数々

醤油づくりについて

明治屋醤油の醤油は、昔ながらの天然醸造です

夏の暑さも冬の寒さもそのまま「もろみ」に伝え、「もろみ」が四季を感じて熟成するのを待つ昔ながらの天然醸造を行っています。
私たちの蔵では、熟成期間が1年半から3年の「もろみ」を搾ります。この長い熟成期間は、醤油のコクと旨味を引き出します。天然醸造を行うことで『少し「しょんばい」けど、「コク」がある』昔ながらの味を守っています。
明治屋醤油が富山県産の大豆・北海道産の小麦で造る醤油は、主に「こいくちしょうゆ」です。「こいくち」は、日本の醤油消費量の約80%を占める醤油で、 つけ、かけ、煮物料理に適している万能醤油です。明治屋醬油では、約10種類程あるこいくち醤油の中で、かけ醤油としておすすめするのは夏・冬の年2回搾る「蔵出し」醤油と冬期限定商品「しずく」醤油です。「蔵出し」は、併設農園で無農薬・無化学肥料栽培した茶大豆と小麦を仕込み、3年寝かし搾った醤油です。自然のトロ味とコクがあります。豆腐、赤身のお刺身にお鍋に最適です。また、圧力をかけずにもろみの重さだけで搾る「しずく」は、大豆のえぐみがなくスッキリとした味わいの澄んだ醤油です。白身のお刺身や焼き餅に最適です。

私たちのこれから

明治屋醤油の企業理念は、「受け継がれてきた業と心で物語を造る」です。
代々受け継がれそして私たちが受け継いだ「業と心意気」を大切にして醤油造りを続けること、そして私たちの造る醤油を通して「おばあちゃんおかあさんの料理の味」を子供や孫が受け継いでいく、そんなお手伝いができたらと思っています。
和食は動物性油脂が少なく、基本である一汁三菜は栄養バランスが良い点から日本人の長寿や肥満防止に役立っていると言われています。今後、生活スタイル食事スタイルが変わっても「和食に欠かせない醤油」の大切さを微力ながら発信していきたいと思っています。

これからも「地元に愛され、地元に根づいた醤油屋」と言われる事を目標に進んで行きたいと思います。

政成自然農園

原料を自分たちの手で

農学校を卒業した後、神奈川県の醤油屋で修業し家業を継いだ4代目政成は、醤油の原料の栽培を始めました。平成5年「政成自然農園」の誕生です。

スーパーマーケット等に並ぶ沢山の醤油の「原材料」が「脱脂加工大豆」から「丸大豆」に移り始めた頃です。
農業の知識のある政成は、この流れにのり「原材料の大豆、小麦100%自社栽培」の醤油の醸造に着手します。
 明治屋醤油では、60年程前まで原材料の小麦を作っていました。
その頃の様に農薬、化学肥料を一切使用しない栽培方法を取り入れます。 最初は大豆から、後に小麦の栽培も始めます。
 平成9年、原材料と醤油の生産者が見える「安心、安全な醤油、蔵出し醤油」が完成し、今ではおすすめ商品となっています。

現在は農業経験のある6代目の弟が5か所の畑を耕作しています。また三頭のヤギが草取りと肥料のお手伝いをしています。
 畑仕事は気候に左右され一年一年が全く違います。また、鳩などの野鳥と知恵比べです。毎年も反省もあります。それでも栽培、収穫はとても楽しいです。
「醤油造り」が大好きだった4代目の思いを胸に美味しい醤油を造るため品質の高い大豆、小麦を作るため日々試行錯誤しています。

茶大豆畑 小麦畑

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